子どもとの距離が近いことは、悪いことではないと思っています。
特に、子どもが不安を抱えやすかったり、特性上強い安心感を必要としていたりすると、親子の距離は自然と近くなります。
私自身、長女と次女との関わりの中で、気づけば「母子の距離がかなり近い状態」になっていることがありました。
それは、必要があってそうなっていた部分もあるし、私自身が子どもを守ろうとする気持ちからそうなっていた部分もあったと思います。
でも、その中で少しずつ感じるようになったのは、
近いことそのものが問題なのではなく、境界線があいまいになりすぎると、お互いに苦しくなることがあるということでした。
今回は、母子密着、母子分離困難、境界線、そして尊重と妥協について、今までの経験や長女と次女との出来事を通して感じてきたことをまとめます。
きれいに答えが出た話ではなく、今も考え続けている途中の記録です。
母子密着は、ただ甘やかしているという話ではないと思っている
母子密着という言葉を見ると、少し否定的な響きで語られることが多いように感じます。
でも実際には、それほど単純ではないと思っています。
子どもが不安を抱えやすい。
環境の変化に敏感。
先の見通しが立たないと崩れやすい。
人との距離感に難しさがある。
そういうことが重なると、子どもにとって「母親が近くにいること」は安心そのものになります。
そして親の側も、「今この子には支えが必要だ」と思えば、自然と距離は近くなります。
だから私は、母子密着を一言でよくないものだとは思っていません。
その時期、その親子にとって必要な近さは確かにあると感じています。
ただ、母子分離が難しい状態が続くと、親も子も苦しくなることがある
一方で、距離の近さが長く続く中で、少しずつ苦しさを感じる場面もありました。
たとえば、
- 子どもの気持ちに自分が引っ張られすぎる
- 少し離れただけで子どもが強く不安定になる
- 親が一人の時間や気持ちの余白を持ちにくくなる
- 子ども自身も「自分で戻る力」を持ちにくくなる
といったことです。
母子分離困難という言葉は強く聞こえるけれど、実際には、ある日突然そうなるというより、
支え続ける中で少しずつ境界線があいまいになっていくこともあるのだと思います。
特に、困りごとの多い子を前にすると、親はどうしても先回りしやすくなります。
傷つかないように、崩れないように、トラブルにならないようにと考えて動くうちに、気づけば親の役割が大きくなりすぎていることもありました。
長女と次女は同じようには見えず、それぞれ違う境界線が必要だった
私が長女と次女の関わりの中で強く感じたのは、
同じ親子でも、必要な距離感はそれぞれ違うということでした。
長女には長女の不安の出方があり、
次女には次女の安心のつかみ方があります。
同じように声をかけても、落ち着く子もいれば、逆に強く反発する子もいる。
同じように支えているつもりでも、それが安心になる場合もあれば、しんどさにつながる場合もある。
親としては、どうしても「同じように接したほうが公平なのでは」と思ってしまうことがあります。
でも実際には、公平であることと、同じ対応をすることは違うのだと感じました。
子どもそれぞれに必要な距離感がある。
そのことを受け入れるのは簡単ではないけれど、とても大事なことだと思っています。
境界線は冷たさではなく、お互いを守るため必要なものだと感じるようになった
以前の私は、「境界線を引く」という言葉に少し冷たさを感じていました。
子どもに線を引くなんて、拒絶しているみたいだと思っていたのかもしれません。
でも今は、境界線は突き放すためのものではなく、
親と子の両方を守るために必要なものだと感じています。
たとえば、
- 子どもの不機嫌をすべて親が背負わない
- 子どもの課題を、親の責任だけにしない
- 親にも限界があることを認める
- 親の都合や気持ちも、あっていいと認める
こうしたことは、最初はとても難しかったです。
特に「この子はしんどいのだから、親の私は我慢しなければ」と思いやすい時期ほど、境界線を持つことに罪悪感がありました。
けれど、親が全部を抱えようとすると、結局どこかで無理がきます。
無理を重ねると、優しくしたいのに優しくできない瞬間も出てきます。
だからこそ、境界線は冷たさではなく、
関係を壊さないための土台でもあるのだと思うようになりました。
尊重することと、言いなりになることは違うと思った
子どもの特性や気持ちを尊重したい。
それはずっと大切にしてきたことです。
でも、経験の中で少しずつわかってきたのは、
尊重することと、すべてをその通りにすることは違うということでした。
子どもが嫌がるからやめる。
子どもが不安がるから親が全部合わせる。
子どもが怒るからこちらが引く。
それが必要な場面も確かにあります。
でも、それが続きすぎると、子どもにとっても「自分の気持ちと折り合いをつける経験」が持ちにくくなることがあるように感じました。
尊重とは、気持ちをないものにしないこと。
でも同時に、現実の中でどう折り合いをつけるかを一緒に考えることでもあるのだと思います。
妥協は負けではなく、一緒に暮らすための現実的な方法でもある
私は以前、「妥協」という言葉に、どこか我慢や敗北のような響きを感じていました。
でも親子で暮らしていると、尊重だけでは回らないこともあります。
- 本人の希望
- 親の限界
- きょうだいとの兼ね合い
- 学校や社会との接点
- 家庭全体のバランス
これら全部を見ながら決める必要がある場面では、どうしても「ちょうどいい落としどころ」を探すことになります。
それは誰かが負けるということではなく、
一緒に暮らし続けるための現実的な調整なのだと思います。
もちろん、うまくいかないこともあります。
そのときはまた考え直せばいい。
一度決めた形がずっと正しいとは限らないからこそ、親子の関係もその都度見直していくものなのだと感じています。
長女と次女との出来事の中で、私は「近さ」と「離れ方」の両方を学んでいる途中だと思う
長女との関わりの中でも、次女との関わりの中でも、私は何度も迷ってきました。
近くにいたほうが安心するのではないか。
でも近すぎると苦しくなるのではないか。
少し離れたほうがいいのではないか。
でもそれは突き放すことにならないか。
そうやって揺れながら、少しずつ思うようになったのは、
親子関係には「これが正解」という一つの形はないのだろうということです。
必要なときには近くにいる。
でも、ずっと一体化したままではなく、少しずつそれぞれの輪郭を守っていく。
その繰り返しなのかもしれないと思っています。
私は今も、近さと離れ方の両方を学んでいる途中です。
子どもたちもまた、自分の安心の持ち方や、他人との距離の取り方を少しずつ覚えていく途中なのだと思います。
母親である前に、一人の人間としての自分をなくしすぎないことも大事だと思った
子どもに困りごとが多いと、親はどうしても「母である自分」が大きくなります。
私も長い間、まず子ども、まず家庭、まず今日を回すこと、という感覚で動いてきました。
それは必要な時期もあったと思います。
でも同時に、母親である自分だけで生きようとすると、どこかで苦しさが大きくなるのだと感じました。
- 自分は何がつらいのか
- 何ならできるのか
- 何はもう無理なのか
- 何を手放したいのか
そういうことを考えるのは、自分勝手ではなく、
親子関係を長く続けていくために必要なことなのだと思います。
子どもを大切にすることと、自分をなくしすぎないこと。
その両方を持つことは、簡単ではないけれど大事にしたいです。
まとめ
母子密着や母子分離困難という言葉は、外から見ると単純に見えることもあるかもしれません。
でも実際には、その背景には不安、安心、特性、生活、親の必死さなど、いろいろなものが重なっていると感じています。
私が今までの経験や、長女と次女との関わりの中で感じてきたのは、次のようなことです。
- 母子の距離が近いこと自体が悪いわけではない
- ただ、境界線があいまいになりすぎると親子ともに苦しくなることがある
- 子どもごとに必要な距離感は違う
- 尊重することと、言いなりになることは違う
- 妥協は負けではなく、一緒に暮らすための現実的な調整でもある
- 親も子も、それぞれの輪郭を守っていい
今の私に、はっきりした答えがあるわけではありません。
それでも、近づくことも、少し離れることも、どちらも大事なのだと思っています。
母親であることの中で、自分を全部なくしてしまわないこと。
子どもの気持ちを大切にしながら、親の限界も見失わないこと。
その間を行ったり来たりしながら、これからも考えていくのだと思います。
